暫く考えさせられる事が多くて、何だか気持ちがもやもやして、、、
・・・・と先日、11月1日(水)朝日新聞の夕刊に 長らくお待たせいたしました。やっとまた身体に暖かいものが流れ出し、音楽が聞こえてきた感じ。でも、これまでとちょっと違う。今日はそんなことからぽつぽつ書いてみましょう。 という書き出しで、吉田秀和氏の『音楽展望』が再開された。しかもタイムリーな事に、これまでに掲載された最新の音楽展望を集めた『たとえ世界が不条理だったとしても』(朝日新聞社)をちょうど読み終えたところだったのだ。 嬉しくてもやもやも吹き飛びそうだった。 最後の展望が2004年の4月だったから約2年半のブランク。 ちょうどその1年前に、かけがえの無い奥様を亡くされ、『どこかよく見えないところを手探りで歩いているような気持ち』と執筆活動を休止されていただけに、 『でも、これまでとちょっと違う・・』の書き出しに胸躍らせ、一気に読んだ。 記事は時代によって変わるモーツアルト観について触れ、、、 時に、 ワルター指揮の『調和のとれた優美な女神の使い』的モーツアルトだったり、 アーノンクール指揮の『作曲家自身のような生身の・・』モーツアルトだったり、 フルトヴェングラー指揮の『人間の業が顔をだすディオニソス的芸術の典型』ようなモーツアルト、、、、、などなど。 ピアニストだって同じ、心の急転に即座に感応して変わっていく内田光子のモーツアルト。 楽譜に書かれてない音まで入れてガンガン楽器を鳴らすシュタイアーやランペ。 私は結構好きなファジル・サイのこんなのあり?なモーツアルトまで(笑) 『こんなのモーツアルトじゃない』という人もあるけれど、じゃ、あなたはいつほんとうのモーツアルトを聴いたことがあるの? ごもっともでございます。250年経て残されているのは高さと、長さと、ほんの少しの気分が書き加えられた莫大のおたまじゃくし集合体に過ぎないものね。 今なお、数え切れない場所で、数え切れないほどの人がモーツアルトを演奏し、そこに違ったモーツアルトが鳴る。そのことが、この音楽が今でも生きている証拠ではあるまいか。そこにこそ、かれの音楽の偉大さと音楽の永遠性があるのではないか。 ああぁ~読みたかったのはこんな評論だわ!と思う。偉大な未完として生涯を閉じた全ての音楽家への畏敬の念がひしと伝わる。
by lime2005
| 2006-11-03 01:01
| 音楽
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