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来迎会を見る・・・

e0038778_2564990.jpg夏休み後半の8月16日、世田谷区奥沢にある名刹、九品仏の浄真寺にて来迎会(通称おめんかぶり)を見る。

オリンピックは4年ごとに開催されるが、この『二十五菩薩来迎会』は3年ごとに奉修されるから、両方が重なるには12年待たなければならない。(別に重なる事に意味は無いのですが・笑)実は今年はその年にあたり、12年前の8月16日に作家の澁澤龍彦は来迎会を見て、短いエッセイにしたためほどなくしてこの世を去った。いつか見てみたい、そんな気持ちがこの夏やっと叶ったのである。
この謎の宗教行事、下手な私の実況中継より澁澤龍彦の文章から抜粋紹介させていただくほうが100倍わかり易いので引かせていただく(澁澤センセイ、失礼いたします)


 浄真寺は駅からすぐのところにあって、思ったよりはるかに大きな寺だった。参道の両側にずらりと屋台店が出て、何のことはない、昔ながらのお祭の雰囲気である。カメラを持った外人がうろうろしているが、これは近ごろ、どの寺社のお祭や法会でもやたらと目に付く光景だ。

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                            (↑普段のひっそりとした本堂)
本堂から上品堂へ長い橋が懸けわたされていて、その橋の両側に、来観のひとびとが三々五々あつまって、お勤めがはじまるのを待っている。見ると子供づれや家族づれも多い。すでに午前十一時と午後二時の二回のお勤めがすんで、今度は午後五時半の最後のお勤めである。

私は暑くてやりきれないだろうと思ったから、日ざかりを避けて、夕刻の五時半のお勤めを見るべく家を出たのだった。夏のこととて、五時半といってもまだ明るく昼間のようなものである。

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二十五人の菩薩に扮する信者は一般から公募するらしく、ほとんどすべておじいさん、おばあさんばかりだった。お面をかぶると何も見えず、足もとがあぶないので、家族のものに付き添われて橋をわたる。

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本堂が穢土で、上品堂が西方浄土である。行道する二十五人は、まず素顔のままで本堂から上品堂へわたり、そこでお面を顔につけて、笙(しょう)・篳篥(ひちりき)や御詠歌の伴奏と共に浄土から穢土へ御来迎になり、往生人とともにふたたび浄土へもどってゆく。最後にお面をぬいで、また穢土へ帰る。都合三回の行道で、これを来迎、往生、還来(げんらい)と称する。

e0038778_251491.jpgちいさなおばあさんが大きなお面をつけるから、ひどく頭でっかちになってユーモラスに見える。
それぞれに手に蓮台だの楽器だのを持って、橋の上をそろそろ歩く。
先頭が観音、その次が勢至、いちばんうしろが地蔵で、これは昔から定まった聖衆の行列だ。
金と青のけばけばしいお面が夏の陽に照り映えて、異様な感じを与える。
おもしろいのは、付き添いの家族のものが小さな団扇をぱたぱたやって、ひっきりなしに菩薩の扮装をした老人たちを扇いでやっていることだった。たしかに長い衣装をまとい、両手に手袋まではめているのだから、さぞや暑いことであろうと察せられた。

e0038778_18181567.jpg最後に坊さんが橋の途中で蓮華をまき、貫主(かんす)が来観の人々に十念を授けて、この日の来迎会はめでたく終わった。 
          
『都心ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト』立風書房より
 

12年前澁澤氏が目にした光景が、寸分違わず目前に繰り広げられた事に感動が込み上げる。氏はこの場面を『ねむり姫』という最晩年の短編小説に挿入している。

宗教的興味というより、作家が一作品にイマジネーションを広げて織り込む素材を確認したかったからだと思う。

『来迎会』は奈良の当麻寺(たいまじ)が発祥とされていて、現在日本では此処を含めて4箇所、長野、岡山、関東では浄真寺のみだそうだ。

そのおおまかな思想(浄土宗派)は臨終を迎えた念仏行者の枕元に阿弥陀如来が訪れて、浄土に導くという教えを視覚化、劇化したものだそうだが、大掛かりな娯楽的要素も感じた。

楽僧達がつけた紗の袈裟が夕日に透けてきらきらと光輝き、優雅な雅楽に導かれて歩く生き仏達の静かで敬虔な足取りは幻想的で、これもひとつの祈りの造形なんだと思った。

次は、2011年8月16日御来迎・・・・

追記>
一つ書き忘れた事があるのですが、写真をご覧になって何か気がつかれた事はありませんか?!!私はずっと気になって気になって・・・(笑)
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by lime2005 | 2008-08-17 10:48 | 日記
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