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ミレイ展の『オフィーリア』・・・

いよいよ今週から社会復帰。まだ早いスピードでは歩けませんが、今のスピードもまんざらでもないかなと、黄金色の銀杏並木を学校に急ぐ小学生達に抜かされながら思います。

前売り券を買っていて最終日にぎりぎり間に合った『ミレイ展』
只一枚『オフィーリア』の絵を見届けたくて駆けつけた。
そして、その絵は息を呑む美しさで目の前に現れた。
ミレイ展の『オフィーリア』・・・_e0038778_143850.jpg

ジョン・エヴァレット・ミレイ <オフィーリア> 1952年) 《 ロンドン、テイト・ギャラリー所蔵 》

『ハムレット』の悲劇のヒロインのオフィーリアが足を滑らせて落ちた小川を、ミレイはロンドン郊外のホッグズミル川を舞台として、植物図鑑的精緻な自然、草花の描写を背景に、恍惚状態で水面を流されていくヒロインの儚い美しさを表現。つい先程まで花環にする為に摘んでいた鮮やかな花の色彩が、光をとどめる木々の深い緑が、オフィーリアの悲劇性を一層高めるように配置された哀しみの絵画である。

『小川のふちに柳の木が、白い葉裏を流にうつして、斜めにひっそりと立っている。オフィーリアはその細枝に、きんぽうげ、いらくさ、ひな菊などを巻きつけ、それに、口さがない羊飼いたちがいやらしい名で呼んでいる紫蘭を、無垢な娘たちのあいだでは死人の指と呼びならわしているあの紫蘭もそえて。そうして、オフィーリアはきれいな花環をつくり、その花の冠を、しだれた枝にかけようとして、よじのぼった折も折、意地悪く枝はぽきりと折れ、花環もろとも流のうえに。すそがひろがり、まるで人魚のように川面をただよいながら、祈りの歌を口ずさんでいたという、死の迫るのも知らぬげに、水に生い水になづんだ生物さながら。』
<ハムレット、4幕より(シェイクスピア・福田恆存訳・新潮文庫>


ミレイは音楽のように流れる時(シェークスピアの言葉の世界)を輝くような絵筆で、現実此岸の風景の中に緻密に、忠実に描き込む。
モデルとなったエリザベス・エレナ・シダルには真冬にお湯がたっぷり入った浴槽に古いレースのドレスを纏わせて横たわらせ、長時間写生を続けたという。途中で浴槽の湯を温めるランプが消えて気付かず風邪をひいたシダルの父親に訴えられたというエピソードもあるそうだ。
自然や草花のスケッチも朝から日没まで5ヶ月間もの長い時間をかけて植物学的な正確さに固執。テイト・ギャラリーでは後に植物学の教授がこの絵を前に生徒に講義をする場面を見かけるほどだったとか・・。
何と言ってもこの絵の魅力は背景の(舞台)の現実性と物語(虚構)の融合(調和)の素晴らしさじゃないかと思う。
オフィーリアは水を含んで沈んでいくドレスの重みに諦めの歌を口ずさんだと言うが果たしてそうだろうか?私にはその僅かに開いた赤い艶かしい唇に生への執着と微かなエロティシズムさえも感じたからだ・・・。ミレイの心理描写の妙には息を呑んだ。
by lime2005 | 2008-10-29 00:21 | 寄り道
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