カテゴリ:日記( 101 )

笑顔で牛歩・・・

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2009年、みちとも氏のお年賀状。

昨年秋から世相は急転直下。ニュース絶ちでもしたくなるような年明けでした。
御他聞に洩れず、夫の会社もリストラの嵐。元同期の、夫の同僚とのおめでとう電話でも『返ってわが社の斜陽が目立たなくなったよね~』と笑えない事実。
私の職場だって春から受講生は今まで通りに来てくださるかドキドキものです。

でもこんな年にこそ、『丑』は相応しいかもしれません。
『丑』を漢字源でひくと手の先を曲げて掴む形を描いた象形だったものが、十二支の2番目の動物の牛の字に当てられた時に原義を失ったとあります。
でも字面からは忍耐強い意思を感じませんか?

一見のんびりとした牛の姿、その内面からは力強く一歩一歩踏みしめ、いざとなったら一歩も退かない強い意志をみちとも氏の賀状から感じました。

笑顔で牛歩・・・今年はこれです!!!!

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by lime2005 | 2009-01-05 06:14 | 日記

2009年お正月・・・

   明けましておめでとうございます。        
     本年も宜しくお願いいたします。


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皆様どんなお正月をお迎えでしょうか。
あいも変わらないおせち、今年も30日&31日で作りました。

小窓の宝船の絵をクリックして『長き夜の遠の眠りの皆目覚め波乗り船の音のよきかな』の回文を、てっぺんの『な』から好きな方向で読んで見て下さい。
古典落語にはこの宝船の絵を『ええぇ~いお宝』と売り歩く商人が出てきて、元旦の夜に枕の下に入れて眠ると縁起の良い初夢が見られた・・との小話が出て参ります。
夢はともかく、回文を読むだけでも少しだけ良い事がありそうな予感のする名文ですね(笑)

              新しい年がすばらしい一年になりますように・・・・。   
 
                                 2009年元旦
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by lime2005 | 2009-01-01 13:54 | 日記

12人の怒れる男・・・

いよいよ今年も総括する季節になった。
2008年、年明け早々立て続けに起こった食品業界の偽装問題~アメリカの金融問題に端を発する世界同時不況~雇用問題他の日本への直接的波及・・・とこれほどの目に見えない不安感に襲われた年はかつて無かったし、来年は一層の悪化が懸念される年になりそうな中、
今年取り上げられたニュースで気になったのが2009年5月からの『裁判員制度』のスタートである。もし裁判員に選ばれたら??いや、誰でも選ばれる可能性があると言う事はどんな裁判でも自分とは無関係では無くなると言う事なのだが・・・その重みに果たして耐えられるのか・・

『12人の怒れる男』シドニー・ルメット監督(1957年)
物語はニューヨークの蒸し暑い夏の午後、12人の陪審員達が集まる冷房の壊れた一室。
誰もがさっさと用を済ませて一刻も早くこの部屋を出て行きたいと汗を拭いながら思っている。
手っ取り早く投票を!と粗末なメモ用紙が配られて早々に票決する。ある少年の父親殺しを有罪か、否かと。有罪なら罪状どうり『死刑』である。

陪審進行役の男性の手元がアップされる。
guilty(有罪)・guilty・guilty・guilty・guilty・guilty・guilty・guilty・guilty・guilty・guilty・・・・・not guilty(無罪)・・・・・・全員一致の票決が鉄則なので場がざわつく。たった一人の反対意見。陪審員番号8番(ヘンリー・フォンダ)の主張は有罪にする確証が無いので無罪だという。疑わしきは罰せずが裁判の大原則だと主張。

ここからはこれから見られる方の為に控えますが、12人の素のぶつかり合いが悲惨な殺人事件を克明に再現して描き出していくというミステリー映画を見ているような展開に引きずり込まれて行く。そして無関心の糸が一糸、一糸とほどかれていくのである。

この映画を先日もう一度見返してみた。
一度目見た時(夫に薦められて20年前ぐらい)とは自分の目線が変わっているのに気が付く。
ぐっと自分の事に引き付けて見られたからだ。そう思うと最後にnot guiltyと言い放って泣き伏した男(リー・J・コップ)の怒れる演技に人の弱さと優しさを見た思い。

優れた脚本のドラマであり、ディーベート・サスペンスの娯楽作品ではあるけれども、物事を感じたり判断する時に『偏見や思い込み』無しでどれだけ考えられるかという事を改めて提示された作品である。その事は2009年5月を前に少し訓練が必要かもしれないとも・・・。
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by lime2005 | 2008-12-19 16:01 | 日記

初めての『紬』・・・

娘の成人式の振袖を仕立てていただいた呉服屋さんから案内をいただいて、新作着物の内覧会に出かける。
展示してある着物は鳴門の有松の気品ある総絞り、次期人間国宝と噂されている(らしい)和田光正氏の金彩友禅や日展作家の寺島利男氏、女性らしい繊細な柄と配色をハーブで染め上げる阿部佳雪さんや幻の染色技法を現代に甦らせた久保田一竹氏の辻ヶ花等々・・・雑誌でしか目にした事のない作家物の逸品が広い会場に所狭しとならべてあって見応えのある内覧会だった。・・・と、此処までは落款入りの超プレミアム着物ばかりで完全に目の保養(笑)が目的。何枚もひやかしで試着して愉しませていただいたのだが・・・。

最後に見た織りのコーナーでとうとう『紬』を手にしてしまった。
憧れの白大島。ひとめぼれである016.gif
白と言っても実に様々な白が存在するので上手く表現出来ないが、積もった根雪の影の青緑がかった白と申しましょうか、ひんやり透明な白地で、肩口と袖と裾に淡いブルーの辻ヶ花の染と絞りが入れてある創作ものである。
以前から紬を買うなら結城か大島と思っていたので早速試着。
袖を通すとその軽さと暖かさと、はんなりしとしたシャリ感が皮膚に纏わりついて来て着心地抜群。よく紬を着始めたら他の着物が着れない・・とはこの事?と思う。
友禅や綸子の冷たい重みは無く、着ている感じがしない抜群な着心地。

辻ヶ花はご存知の方も多いと思うが、室町で隆盛、のち江戸時代に途絶えてしまったものを先の故久保田一竹氏が現代に甦らせた幻の花と言われている染めの技法で、素朴な線と柔らかい絞りの愛らしさが魅力である。
試着のまま少し歩いてみると、裾裏に裾模様と同じ辻ヶ花の絞りが一つ入れてあるのを発見。こんなところはちょっと心憎しではありませんか。歩く時に裾回しがひっくり返るのが悩みだったのに逆に愉しくなったりして・・・・。

たまたま会場にいらっしゃったこの大島をデザインなさった中賀和健秀さんに創作秘話を伺った最後に、
『僕もこれからしっかりいい仕事をして、5年、10年後に買って良かったと思っていただける作家になるから・・・』とおっしゃる少年のような目に騙されちゃったかな(笑)

さて、問題は着こなせるか否か??!!!である。
(紬ファンの方、ぜひアドヴァイスを・・・)
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by lime2005 | 2008-11-17 08:27 | 日記

須賀敦子が愛したもの・・・

e0038778_21274883.jpg今月の芸術新潮は須賀敦子さんの特集。
没後10年、もうそんなにたったんだと思う。お元気で健筆を揮っていらっしゃったら今年79歳を迎えられた。
未定稿に終わった初めての長編小説『アルザスの曲がりくねった道』も読みたかったし、何より美しい静けさを湛えた、たましいの暗闇を超えてきたような珠玉のエッセイをまだまだまだまだ読みたかった。
特集は坂道でたどる須賀敦子と題してイタリアはローマ、ミラノ、そしてアッシジを須賀さんの足跡を訪ねて追回想するもので、テーマは坂道と美術。
また『沈黙の空間』という船越桂さんに寄せた全集未収録エッセイや全集の表紙絵を飾った、ちょっと須賀さんの文章にも通じる世界をお持ちのイタリアの静物画家、ジョルジョ・モランディにも記事が及び須賀ファンにはお奨めの一冊。

そんな須賀さんとの出会いは『塩一トンの読書』という短いエッセイだった。
その書き出し・・・
 『ひとりの人を理解するまでには、すくなくとも、一トンの塩をいっしょになめなければだめなのよ』

新婚時代の須賀さんが夫であるジュゼッペ・リッカ氏のお義母さまから授かった言葉。その活字が目に飛び込んで来た時の衝撃たるや・・・塩一トンは決して誇張じゃないのだろうと思うだけに意気地無しの私には遥か遠い言葉に思えた。

今は全集の3巻目、『地図のない道』・・・・須賀さんとの旅はゆるい坂道を登るようにまだまだ続く・・・。
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by lime2005 | 2008-10-02 21:27 | 日記

骨折その後・・・

骨折生活3週間目突入・・・。
もう患部の腫れも内出血によるうっ血もひいて、痛みも動かす時だけに減った。
骨折当日の保冷材で冷やし続けても引かなかったあの痛みからすると夢のような回復。
前回の簡易ギブス(足の裏側だけを固定)から膝までのガッチリギブスに替えていただき、
患部が足首からしっかり固定されるので安定感があって具合良い。
今はギブスと言ってもグラスファイバー製の包帯を使うので、軽くて通気性が良くて快適。
もう少しばかりの移動なら松葉杖を使わないでかかとを使いながら移動できるようになり、ストレスが激減(家族も・笑)
医者によると『とにかく足を使わないのが何よりも快癒の早道』との事。
お陰さまで小さな骨が付き始めているので順調のようです。
此処で無理をせずと自分に言い聞かせてじっと耐える日々・・・。

ところで、この骨折時の腫れと痛み、これって何だろうと思った。
折れた骨が神経を刺激しているの?それとも内出血の痛み??
別に骨折に限らず、人は外傷や疾患時に患部に痛みを感じるけれど今更何故?!な疑問。

困った時のワイル博士の本にはこう書かれていた。

 『患部の炎症、それに伴う痛み、すなわち疼痛(とうつう)は局所に防御物質を集めようとする免疫系が利用する伝達物質の方出によって引き起こされる』
そして、

 『その痛みを不快なものと感じる事によって、われわれの注意を局所に向けさせ、活動の防御と休養を強いる。つまり、炎症とそれに伴う痛みは体の治癒能力が正常に働いているサインであり、局所に必要な栄養物や免疫部隊が到着したことのしるしである。』
うう~ん、そうだったのか。炎症のメカニズムを初めて納得する。

つまりは不快と感じる事自体が治癒へのプロセスであり、代償だったのねと納得。
逆にこのプロセスから外れる怪我や病気こそが要注意なんでしょう~。

『そうは言っても痛いものは痛い!!よって、二度と骨折なんかご免だわ033.gif!!!』

と自覚、自己防衛させる事も人の体にはプログラミング済なハズなのですが・・・008.gif
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by lime2005 | 2008-09-29 01:28 | 日記

骨折女・・・

とうとうやってしまいました初骨折。007.gif全治3週間~4週間だそうです。
基節骨という足の指先から甲にかけて3番目の骨を右人差し指と中指の2本。
今はまだ患部に腫れと痛みがあるので簡易ギブスですが、その後腫れが引いたら2週間はごついギブス生活を宣言され、不自由極まりない生活に憂鬱な気分です。

罹災場所は実家から帰宅途中の真夜中の慣れないスーパーの駐車場。
いい加減なサンダルの履き方で車に走って戻る途中に微妙な段差に蹴躓き転倒。
『あ、やっちゃったかな!』の確かな手ごたえ(足だけど)と共に、風船のように膨らむ足先。
『もうこれ以上は入りません!』の限界に挑戦したかのような腫れ方があっぱれでした(笑)

痛みもありますが、それより何より動けない事の不自由さが辛い。
受話器を取るにも、エアコンのモードを変えるのも、辞書や新聞・・狭い我が家ながら微妙な徒歩距離にあるものばかりで、その度に娘や夫にお願いするのがうっとおしく我慢。で、イライラ募り・・・・

ああぁ~普通に歩けるってなんて偉大!!な事

実は今年に入って転んだのは2度目で、前回は押されたとは言え駅で階段落ちして顔面スライディング。その傷跡がメルヘンティックな『象を飲み込んだうわばみの図』(星の王子様由来)で笑っちゃいましたが・・。
こうも続くと体力の衰えを感じずにはいられないです。
ギブスが取れたら緊急最重要事項です。臍から下の筋肉増強066.gif
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by lime2005 | 2008-09-17 13:30 | 日記

来迎会を見る・・・

e0038778_2564990.jpg夏休み後半の8月16日、世田谷区奥沢にある名刹、九品仏の浄真寺にて来迎会(通称おめんかぶり)を見る。

オリンピックは4年ごとに開催されるが、この『二十五菩薩来迎会』は3年ごとに奉修されるから、両方が重なるには12年待たなければならない。(別に重なる事に意味は無いのですが・笑)実は今年はその年にあたり、12年前の8月16日に作家の澁澤龍彦は来迎会を見て、短いエッセイにしたためほどなくしてこの世を去った。いつか見てみたい、そんな気持ちがこの夏やっと叶ったのである。
この謎の宗教行事、下手な私の実況中継より澁澤龍彦の文章から抜粋紹介させていただくほうが100倍わかり易いので引かせていただく(澁澤センセイ、失礼いたします)


 浄真寺は駅からすぐのところにあって、思ったよりはるかに大きな寺だった。参道の両側にずらりと屋台店が出て、何のことはない、昔ながらのお祭の雰囲気である。カメラを持った外人がうろうろしているが、これは近ごろ、どの寺社のお祭や法会でもやたらと目に付く光景だ。

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                            (↑普段のひっそりとした本堂)
本堂から上品堂へ長い橋が懸けわたされていて、その橋の両側に、来観のひとびとが三々五々あつまって、お勤めがはじまるのを待っている。見ると子供づれや家族づれも多い。すでに午前十一時と午後二時の二回のお勤めがすんで、今度は午後五時半の最後のお勤めである。

私は暑くてやりきれないだろうと思ったから、日ざかりを避けて、夕刻の五時半のお勤めを見るべく家を出たのだった。夏のこととて、五時半といってもまだ明るく昼間のようなものである。

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二十五人の菩薩に扮する信者は一般から公募するらしく、ほとんどすべておじいさん、おばあさんばかりだった。お面をかぶると何も見えず、足もとがあぶないので、家族のものに付き添われて橋をわたる。

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本堂が穢土で、上品堂が西方浄土である。行道する二十五人は、まず素顔のままで本堂から上品堂へわたり、そこでお面を顔につけて、笙(しょう)・篳篥(ひちりき)や御詠歌の伴奏と共に浄土から穢土へ御来迎になり、往生人とともにふたたび浄土へもどってゆく。最後にお面をぬいで、また穢土へ帰る。都合三回の行道で、これを来迎、往生、還来(げんらい)と称する。

e0038778_251491.jpgちいさなおばあさんが大きなお面をつけるから、ひどく頭でっかちになってユーモラスに見える。
それぞれに手に蓮台だの楽器だのを持って、橋の上をそろそろ歩く。
先頭が観音、その次が勢至、いちばんうしろが地蔵で、これは昔から定まった聖衆の行列だ。
金と青のけばけばしいお面が夏の陽に照り映えて、異様な感じを与える。
おもしろいのは、付き添いの家族のものが小さな団扇をぱたぱたやって、ひっきりなしに菩薩の扮装をした老人たちを扇いでやっていることだった。たしかに長い衣装をまとい、両手に手袋まではめているのだから、さぞや暑いことであろうと察せられた。

e0038778_18181567.jpg最後に坊さんが橋の途中で蓮華をまき、貫主(かんす)が来観の人々に十念を授けて、この日の来迎会はめでたく終わった。 
          
『都心ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト』立風書房より
 

12年前澁澤氏が目にした光景が、寸分違わず目前に繰り広げられた事に感動が込み上げる。氏はこの場面を『ねむり姫』という最晩年の短編小説に挿入している。

宗教的興味というより、作家が一作品にイマジネーションを広げて織り込む素材を確認したかったからだと思う。

『来迎会』は奈良の当麻寺(たいまじ)が発祥とされていて、現在日本では此処を含めて4箇所、長野、岡山、関東では浄真寺のみだそうだ。

そのおおまかな思想(浄土宗派)は臨終を迎えた念仏行者の枕元に阿弥陀如来が訪れて、浄土に導くという教えを視覚化、劇化したものだそうだが、大掛かりな娯楽的要素も感じた。

楽僧達がつけた紗の袈裟が夕日に透けてきらきらと光輝き、優雅な雅楽に導かれて歩く生き仏達の静かで敬虔な足取りは幻想的で、これもひとつの祈りの造形なんだと思った。

次は、2011年8月16日御来迎・・・・

追記>
一つ書き忘れた事があるのですが、写真をご覧になって何か気がつかれた事はありませんか?!!私はずっと気になって気になって・・・(笑)
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by lime2005 | 2008-08-17 10:48 | 日記

サステナビリティ(持続可能性)・・・

夏休み5日目に突入。
恒例の夏の大掃除(我家はこの時期)が3日目には片付いてのんびり羽を延ばす計画だったのに頓挫。ようやく本日目処が立ってやれやれなのである。

今年の掃除のポイントは息子の部屋に侵食し始めた夫の本や新聞記事(スポーツ&裁判・選挙関係)の山を何とかする&10年も手付かずの押入れのチェック。
この新聞記事だが、普通は興味のある部分を切り抜いてスクラップするが夫は違う。その日一日分をそのまま取って置くので凄いボリュームになる。何度か意見して改善を要求したが『切り抜きは老後の楽しみ』と一歩も譲らない、永遠の夫婦喧嘩の火種である。

取り合えず手付かずの押入れを整理して其処に収納、残りは実家の自分の部屋に運んでもらう事で合意、作業開始した。

押入れは中身を全部出して一つ一つ点検。呆れた事に子供達の教科書やノート類を一冊残らず取ってある。夏休みのワークブックなんてろくに書き込みをしていない問題集が何冊も。小学校の分だけで6年×2人分。買って与えるだけじゃ意味ないわ~と言ってもすでに後の祭である008.gif

せっせと紐かけをして捨てる。と、奥には20年前から次々に手を出した私の手芸用品の一群が。洋裁、刺繍、パッチワークに押し花&ビーズ042.gifよくぞこれだけ次々と、と言うほどの材料群。夫を責められない量に唖然とする。
もう学校のバザーで作品を提出する事も無くなったので、これからも続けるであろうキルト用品の一群を残して全部処分する事にした。
結局処分したダンボール箱は20箱以上。すんなり夫の老後のおもちゃが納まりましたとさ。

作業していく途中で新たに自分に誓った言葉、それはSustainability(サステナビリティ)=持続可能
これはLOHAS(ロハス)= Lifestyles of Health and Sustainability のSで初めて知った言葉。ロハス自体は環境問題をビジネスにしようとする所にあざとさを感じて好きになれないけれど、『持続可能』は切捨てられないどころか、重要な環境問題のキーワードと感じる。

買い物をする時、ふとこの言葉を頭に過らせて、持続不可能な物を増やさない。
これだけでも我家の大いなる美化と地球温暖化防止の一助になると信じて・・。
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by lime2005 | 2008-08-15 00:43 | 日記

北斎漫画・・・

e0038778_219629.jpg先月末に出かけた国立博物館の特別展<フランスが夢見た日本>は見応えがあった。

19世紀末のヨーロッパでジャポニズムという日本ブームが巻き起こり、印象派の画家や音楽家に影響を与えた事は知識としては知っていたつもりだった。
でもそれがフランスの陶芸家にまで及び、陶器の中に北斎や広重を見られる新鮮な驚きの展示会だった。

作品はオルセー美術館の貴重なコレクションでフランス人の陶芸家、セルヴィス・ルソーとセルヴィス・ランベール、お二人のものを中心に。
図柄の元絵となった日本版画が比較対照できるように展示してあったのも興味深く、中でも『北斎漫画』の面白さが随所で目に留る。


以前ドライブの途中で立ち寄った高原の美術館で、エミール・ガレのガラス工芸『鯉魚文花瓶(りぎょもんかびん)』の意匠に転用された活き活きとした鯉の図柄が北斎漫画からだと知った事を思い出す。今にも花瓶から飛び出してきそうな粋のいい鯉。北斎漫画の生物のスケッチは魚も虫も動物達も表情が活き活きとしていて必要最低限のラインで此処まで生物を描ける見本帳と言う感じ。

面白かったのは元絵から切り取ったトリミングの妙。
模写先が大きさの限られた皿だけに取捨選択を要求される図柄。
中には大胆にも広重の『東海道五十三次』から富士山を切り捨てたり、只の背景の山としてしか描かれていなかったり、当時(江戸時代)の熱狂的な富士講(富士山を霊山として崇めた民間信仰団体)に袋叩きの目に合いそうなデザインもあった。ダメだよ~富士山削っちゃあ~である(笑)
もう一つ特筆すべき特徴が取り合わせの妙。朝顔と鯉、なすと伊勢えび、車海老に蝶・・・うう~ん理解に苦しむ(笑)というモチーフ配置を十二分に楽しませていただきました。。

19世紀末の日本が西洋から『美術』そのものの概念やカテゴリーを移植しようとしていたその時代に、逆に日本美術の大胆な構図(北斎)や鮮やかな色彩感(広重や国芳)が西洋の芸術家に与えた影響を小さな皿の中に見せ付けられた展覧会だった。

いつもの音楽鑑賞のお仲間、Tさん、Mさんとご一緒したのですが、作品を見ながら聞く『つぶやき』が耳に心地良く、記念に購入した絵葉書の図柄が大いにダブっていた事が嬉しかった。

北斎漫画再認識!!!
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by lime2005 | 2008-08-11 02:50 | 日記