カテゴリ:詩( 9 )

猫を抱いて象と泳ぐ・・・

小川洋子の新刊、『猫を抱いて象とおよぐ』を読了。
物語の素材はチェス。あの『博士の愛した数式』で数式の美と奇跡を語った筆が、10の123乗通り『しか』存在しない棋譜の美と無限について語る物語。

e0038778_832951.jpg主人公の少年は唇が閉じたままで生まれた寡黙な少年。
体が大きくなりすぎて屋上動物園で生涯を終えた象のインディラと壁の隙間にはまって出られなくなった女の子のミイラだけが友達。
7歳の時に巨漢のマスターにチェスを習った少年はメキメキ天分を発揮、テーブルチェス盤の下にもぐって熟考する特異なスタイルでチェスを打つ。その姿が『盤上の詩人』と呼ばれたロシアの天才チェスプレーヤー、アリョーヒンの再来とまで言われリトル・アリョーヒンと呼ばれるようになるが・・・・


以下本文より抜粋・・・

マスターは両手を摺り合せ、チェスを始める時にいつも見せる、少年の大好きな表情を浮かべた。『ゲームの記録はな、棋譜って言うんだ。これが書き記されていれば、どんなゲームだったか再現できる。結果だけじゃなく、駒たちの動きの優雅さ、俊敏さ、華麗さ、狡猾さ、大らかさ、荘厳さ、何でもありのままに味わう事ができる。たとえ本人が死んだあとでもな。棋譜は人間より長生きなんだ。チェス指しは、駒に託して自分の生きた証を残せるってわけだ』・・・・・


『口のある者が口を開けば自分の事ばかり。
     自分、自分、自分・・・チェスに自分など必要ないのだよ』


『心の底から上手くいっている、と感じるのは、これで勝てると確信した時でも、相手がミスをした時でもない。相手の駒の力が、こっちの陣営でこだまして、僕の駒の力と響き合う時なんだ。そういう時、駒たちは僕が想像もしなかった音色で鳴り出す。その音色に耳を傾けていると、ああ、今、盤の上では正しい事が行われている、という気持ちになれるんだ。上手に説明出来ないけれど・・・』
『ああ、分るよ。よく分る。』
マスターは親指を立て、OKサインを出した。
『つまり、最強の相手が最善とは限らない。チェス盤の上では、強いものより、善なるものの方が価値が高い。だから坊やの気持ちは正しいんだよ。』



やがてマスターを失ったリトル・アリョーヒンは自ら成長を止め、からくり人形に入って秘密のチェス倶楽部でチェスを差し始めて物語は展開を見せ令嬢夫人や国際マスターS氏との対戦が続く。が、リトル・アリョーヒンの目指すチェスには常に自己の開放と盤上に綴られる美しい『詩』の軌跡が存在した。
これは小川洋子が『盤下の詩人』に託して全ての孤高の芸術家に通じる理想像を描いた物語じゃないかと思えてならないのだが・・・。

チェスは詩、
チェスは人、
そしてそれを抱く深遠なる海・・。
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by lime2005 | 2009-02-06 01:53 |

映画『G.I ジェ-ン』とD.H.ロレンスの詩・・・

2年前の夏休みに書いた日記のD.H.ロレンスの詩にコメントを付けて下さった方が紹介してくれた映画『G.Ⅰジェ-ン』をDVDで見る。
ストーリーはアメリカ海軍SEAL(世界のsea.air.landに配備される特殊作戦精鋭部隊)の入願志願者達の過酷な12週間に渡る訓練テストを描写。上院議員の政治的な思惑によってSEALの訓練に挑む事になったジョーダン・オニール(デミー・ムーア)大尉が唯一の女性候補生として訓練に参加、肉体の限界に挑んで生き抜こうとする姿をえがいたアクション映画である。と同時に映画は女性上院議員の政治的思惑も二重プロットとして物語に巧みに組み込んである。 

訓練初日に上官であるウルゲイル曹長が謎めいた詩を全員の前で暗誦する。
私は、自分自身を哀れむ野生の生き物を見たことはない
小鳥は凍え死に枝から落ちても決して自分自身を哀れとは思わない

その詩の出所は物語の最後に明かされるのだが・・・。

デミー・ムーアが長い髪をバリカンで自ら刈り取る衝撃シーンや体を張った(エキストラを使わない)渾身のアクションは楽しめた。暴力シーンの多さは是非としても男達の中にあってそれらは壮絶な美しさを放っていた。
が、ハリウッド映画だなあ~と思う。綻びがいっぱい(笑)特に最後の戦闘シーンは興ざめ。ハリウッドの悪役(この場合はリビアの戦士)は敵を目前にしながら標的を射抜くことが出来ないのは何故だ!!と突っ込みを入れながらも主人公達の全員無事脱出という茶番を見せ付けられるのはタマラナイ(笑)

最後のシーンで先の謎の言葉はD.Hロレンスの詩、『自己憐憫』である事が明かされるが詩は映画に深みと示唆を与えている。
ロレンスは「チャタレー夫人の恋人」の作家として有名だが、花や小動物を描写した詩には自然界に対する深い造脂が感じられて滋味ながら好きだ。

自己憐憫

野性なるものが 自らをあわれむのを
私はみたことがない。
小鳥は凍え死んで枝から落ちようとも
自分を惨めだとは 決して思わないもの。


死にかけた小鳥に自己憐憫のかけらも無い野生の『生』を視る。
軍隊という効率、成功至上主義の集団で『あわれみ』などという繊細な思考を持ち込む事は敗北を意味する、、と上官ウルゲイルは言いたくてこの詩を口にしたはず。一瞬一瞬を無心に生きるだけだと。

でも、である。その野生の潔さにあこがれるもう一方の心で、人間だからこそ『生ける闇』を生に持ち、『自己憐憫』を共感しうる生き物なんだという、ロレンスの人間賛歌も聞こえて来る。

映画を紹介してくださったグッドラックさん、ありがとう~。
 
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by lime2005 | 2008-02-13 11:34 |

聖なる夜に・・・

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2週間ぶりに休みが取れて、ゆっくり過ごしたイブ。
ブリテン作曲のカンティクル(聖歌集)とウイリアム・ブレイクの詩に作曲されたバリトンの為の歌曲集を聴いた。歌っているのはピーター・ピアーズ(T)とフィッシャー・ディスカウ。
その第3番《なおも雨は降る》は戦争の絶望的な状況下で流される血に、キリストの受難を準えていて宗教曲という体裁をとった反戦歌に聴こえた。
長い詩の冒頭・・

 なおも雨は降る......
 人の世のように暗く
 私たちの喪失のように黒く.....
 千九百と四十の釘のように
 盲いて
 十字架の上に。

  詩、イーデス・シットウェル(1940年の空襲・夜と暁)より

ブリテンの歌曲のほとんどは特定の歌手や演奏家を想定して作曲されたようだが、そのほとんどの曲が公私にわたって影響を受け続けた生涯のパートナー、ピーター・ピアーズの柔らかなリリック・テナーに捧げられた。この曲も同じく。

ブリテンの願いに反して
雨は今なお降り続いている・・
霧雨だったり、驟雨だったりしつつも止むことは無い。
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by lime2005 | 2006-12-24 23:08 |

喜雨・・・

日本には雨の名前がいっぱい。
いったいだれなんですか、雨にこんなにたくさんの名前をつけた人は・・・。
嬉しくなって遊んでみた。


      地雨   大雨 篠つく雨    豪雨
 

      俄雨   霧雨    小雨  春雨  端雨 
 
甘雨     春時雨    翠雨    緑雨   雷雨        

うの花腐し   黴雨      日照り雨    菜種梅雨 

     
   村雨   喜雨    送り梅雨    私雨 

 
    
 半夏雨    栗花落    外待雨  

 肘かさ雨  梅若の涙雨     狐の嫁入り 


 涸梅雨      早梅雨   小雨    驟雨     五月雨   虎が雨

  雨喜び     曽我の雨   慈雨


これは春から夏にかけての雨の名前。
調べればもっとあると思うし、秋~冬を入れたら凄い数になりそう。
そして日本人の生活が古代から雨と深いかかわりがあった証拠でもある。

特定の範囲だけに降る雨を私雨外待雨。急に振り出した雨に傘が無くて肘を頭にかざすようにすることから肘かさ雨
梅雨のころ咲く卯の花や栗、この花をダメにするほど降り続く長雨が卯の花腐し栗花落(ついり)
曽我の雨は陰暦の5月28日に降る雨で、曽我兄弟が打たれた日。十郎祐成の愛人で大磯の遊女虎御前の涙が雨になったという、せつなくもロマンテイックな虎が雨

東京の杉並に住んでいた中高生の頃、夏の夕暮れには俄雨(にわかあめ)がよく降った。驟雨と呼ばれる激しいこの雨は一瞬にして涼を呼ぶいさぎよさがあったが、近年夕立ちも減った気がする。岩村氏によると、ばっさばっさと木が切り倒されて、雷雲も雷を落とす張り合いを無くしたんでしょう~とおどけていらした。

旱魃が続いた時、待ちに待った雨が降るのが喜雨慈雨雨喜び。たとえ様の無い喜びが字面から伝わって来る。
日本中に食べ物が溢れてるのに、食料自給率たったの40%で、益々休耕田が増える昨今。
この美しい雨の名前、先人達の言葉の遺産も少しづつ、確実に輝きを失っている。
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by lime2005 | 2006-06-16 11:53 |

鮎と俳人・・・

鮎の季節である。
鮎は香魚の名前があるように独特の臭いがあるが、これはえさの藻の香りによるもので捕れる川によって変わるという。塩焼きを蓼酢(たでず)でいただくのが最高で、わたの苦味と渋みがたまらない。もっとも普段魚屋で見かける養殖の鮎は太っていて油っぽく、香気を欠き精悍さは感じられないが。
・・・・・と直ぐに料理に向ってしまうので軌道修正して・・。

11年前の今頃である。図書館で一冊の小説と出会った。
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鮎と蜉蝣(かげろう)の時』 岩村 蓬
何だか透明感のあるタイトルに吸い寄せられるように本を手に取っていた。
旧制中学(現在の立川高校)の上級生との思い出を綴った瑞々しい作品で若き日の堀辰雄の小説を思わせた。
が、私が惹かれたのはタイトルの次のページに書かれた一句である。

  蜉蝣も鮎も美童も薄暮かな  蓬
     

たった17文字のこの詩は125ページの小説の世界を凌いでいると思った。
作者、岩村 蓬(よもぎ)氏のプロフィールには俳人とあり、直ぐに小説の感想と既に出版されている句集を求めたい旨の葉書をお出ししたら折り返し3冊の句集が送られて来た。
どれも謹呈の紙が挟み込んであり、私は恐縮した。
それからお亡くなりになるまでの7年間、俳人岩村蓬さんとの文通が続いた。

現役時代は某大手出版社の児童雑誌の編集者を務め、園芸にも詳しく、お好きだった椿の専門書を編んだのを最後にリタイアー。その後趣味の俳句や小説をしたため、雑誌『文学界』に文芸評やエッセイを投稿する優雅な俳人生活を送っていらっしゃった時出会ってしまったのである。

そして、何度か手紙をやり取りする内に、駆け出しの編集者時代に我亡き父と出会っていたことが判って、飛び上がるほど驚いた。きっと岩村氏も同様であったに違いない。
当時絵本の編集助手を務めていた岩村氏は挿絵画家や漫画家の原画取りも仕事だったという。締切日になると直接画家宅に伺って原画を手渡ししてもらうのである。
その中に担当した高畠華宵、蕗谷虹二、手塚冶虫といった方達に混じって父の叔父で挿絵画家だった玉井徳太郎もいて、当時上野毛の玉井の家に美大生として下宿していた父と出会ったという。

私が物心ついた頃にはすでに父はいなかったので、母から伝え聞いた事が父の全てだった。だから突然聞きかされた若い父の姿に戸惑いつつも、喜びがこみ上げた。
当時の父は痩身に和服姿で神経質そうな玉井とは対照的な明るい青年だったとのこと。
その後の父の人生を思うと、画家になるべく希望に満ちて絵を学んでいた頃は一番輝いていた時代だと思われたから。
『どんな小さな事でもいいから、思い出したら教えて下さい』と食い下がる私を暖かい気持ちで受け止めてくださった岩村氏。

きっと・・・
鮎が岩村氏の俳句を介して父に引き合わせてくれたんだと思った。
出会った偶然を懐かしみ、句集を読み返すのが楽しみな季節である。 
  
     鮎として来世は逢はむ花の闇  蓬

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by lime2005 | 2006-06-10 15:00 |

雨を聴く・・・

一昨日は天気予報通り、午後3時にきっかり横浜方面は雨が降った。
最近の天気予報はあたりすぎて味気ない。
その朝、ある方からこんな書き出しのメールを返信していただいた。
 
 『薄曇の朝。雨の降り出しはいつごろになるのでしょうか。
   こんな天気の時は少しだけ気分が落ち着きますよね。(ボクだけでしょうか?)』

この日仕事で朝家を出る時、まったく同じ事を考えていたので不思議な気持ちがした。
そう、雨の気配に気持ちが鎮まる。

日本はめぐる季節を、雨音が教えてくれる。

早春、春時雨(しぐれ)は明るい雨音で冬果てを告げる。
萌えいずる新芽を濡らす雨音は柔らかく優しい。

うっとおしい梅雨も、始まりと終わりでは雨音が違って聴こえる。
梅雨が明ける送り梅雨の頃の雨音は特に好きだ。
早く梅雨が上がって欲しいという願いが込められた名前のごとき激しい雨。
瑞々しい若葉が雨粒を跳ね返す躍動感溢れる音。
その雨上がりが極彩色の季節を連れてくる。

季節が進んで秋の雨
空が晴れているのに急に雨粒が落ちてきたかと思う・・とまた止んで晴れる。
その雨は静かに淋しげに落ち葉を湿らし、しおしおと土に染み込む。
心を鎮めてくれる音無き雨・・・。もう季節は立冬。

  秋の雨しづかに午前をはりけり   日野 草城
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by lime2005 | 2005-11-08 07:28 |

十六夜・・・

昨日の月は見事だった。
夕食のあと誰彼とも無く『月見に行こう』と言いだして、三浦半島月見ドライブをしてきた。我が家は普段は皆ばらばらの生活なのに突然意見がまとまって行動ということがたまにある。
夜の海と月、両方が楽しめるビュースポットには先客がちらほら。滅多に味わえない水面を照らす満月を堪能した。
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記憶が10年前のフランクフルトから南西に30分程行ったシュバルバッハという小さな町の中華料理店に飛んだ。顔なじみになったボーイさんがいて、私と夫には何も言わなくても食事の最後に中国茶漬けを出してくれる四川の味付けの美味しい店だった。
聞いてみると、彼の御爺さんは日本人、親日家に納得がいった。
とある9月の今頃、いつものボーイさんが『今日はお月見だよ、外を見てご覧』というので、ちょっと出てみたら綺麗な満月。ドイツの9月はもうすっかり秋で、晴れる日も少なくなるため満月なんて滅多にお目にかかれない。すっかりその日が十五夜だということも忘れていた。
席に戻ると彼は紙に『中秋』と書いて持ってきた。その字を見て体中がジーンと熱くなった。中国の人もお月見をすることは知っていたけれども遠い異郷で巡りあった『中秋』の字に初めて『望郷』という感覚を体で味わったと共に、彼と大切なものを分けあった暖かい気持ちも感じた。

今夜は十六夜・・。かすかに夕闇迫る東の空に浮かぶのが十三夜。十四日から十五日の望月を経て、闇をほのぼの照らしてのぼるのが十六夜。いざよい(ためらい)の月・・・。

    此行やいざよふ月をみて終る      高浜虚子
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by lime2005 | 2005-09-19 10:17 |

白露・・・

台風の爪あとが大きい日本列島。関東地方でも湿った南風が吹き荒れている。
今日は二十四節気の白露
陰気ようやく重なりて露にごりて白き・・の意。
そろそろ残暑の中にも秋の気配が感じられて、店先では夏の名残と秋の 走りが
仲良く同居。季節の変わり目を迎えた。
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  ..... 昨日の教室で教えたメニュー.....

      栗ごはん
      黄菊と三つ葉のしんじょ椀
      白和え
      きのこと海老の揚げ浸し
      煮なます

もうすっかり秋の一汁三菜。初夏から盛夏にかけて刺激の強いエスニック料理が続いた
ので、『今日は本当に美味しい・・』と生徒さんつい本音を漏らしていた~(笑)

まだこの時期の栗は若く、虫食い前なので『ギャー~』という突然の雄たけび
も聞かれず(これ、心臓に悪いのです!)に皆さんせっせと栗の渋皮むきをして下さった。
これが晩秋の頃になると段々と虫食い栗が増えて来て、『ああ~栗も美味しくなってきたな』
のサインとなるわけ。人間様にも美味しさおすそ分けください・・・の心境。

やはり秋は和食がほっとする。

しんじょ椀に天盛りしたへぎ柚子の青さを思って・・・
 
 青柚子の葉より青き9月かな   加藤青龍
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by lime2005 | 2005-09-07 10:23 |

物には決ったよさはなく・・・

大好きな心を打つ詩がある・・。

      鶴
物には決ったよさはなく、
人にはそれぞれ好き嫌い、
おまえの舞う姿がよいとのことだが、
わたしは好き、お前のじっとしているとき。
 
白楽天の『季節の詩』より 万足卓 訳

いい詩でしょう!楊貴妃と玄宗皇帝とのロマンスをうたった〈長恨歌〉

で有名な唐代の詩人『白居易』作なので、原作は漢詩。

クラシック音楽好きな人達にはおなじみの

音楽評論家『吉田秀和』氏のエッセイのタイトルにもなっていて、

軽くて、生き生きとした、心に響く詩・・と吉田氏が紹介。

 (彼の評論には音楽への静かな深い情熱と合わせて

  香り高き文学の味わいがあります。)

料理も、音楽も、詩も・・・作り手の手をいったん離れてしまうと

受け取る人によってその味や響きが変わってくる・・。

そんなところに尽きぬ興味を覚えてやめられない。

今日から始めるこの日記にはLimeの感じた

<もののよさ>をたくさん詰め込めたらと思います。

更新は激遅になるかと思いますが、

思い出した頃、また覗いてみてくださいね。

 
『ものには決ったよさはなく・・・』 吉田秀和 読売新聞社 
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by lime2005 | 2005-08-08 10:15 |