神奈川フィルハーモニー管弦楽団の名曲コンサートを聴く。
指揮: ハンス=マルティン・シュナイト ソロ・コンサートマスター: 石田泰尚 ***purogram**** ブラームス : ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲イ短調 ヴァイオリン : 石田泰尚 チェロ : 山本裕康 --intermission-- ブラームス : 交響曲第1番 会場に入ったのは仕事帰りで開演5分前滑り込みだった。呼吸を整えるのがやっとだったが満席のミューザ川崎にはいつもより熱気がこもっていたように思う。 昨年春から聴き始めて今回で5回目になるシュナイト×神奈川フィルの演奏会。 この春でシュナイト氏の音楽監督勇退が決まっているのでカウントダウンコンサートになった。多分熱気はそのせいだ。 第一部のコンチェルトはソロパート、石田氏の優美で繊細でいつもに増して研ぎ澄まされたヴァイオリンを献身的に支えるチェロの山本氏の懐の深さに涙し、それを室内楽的親密さでオケの音に配置した、一枚の絵を鑑賞しているようなコンチェルト。ブラームスの旋律美を味わい尽くせた一曲でした。 続く交響曲1番は、モニュメンタルな出だしの音から、『嗚呼~この音がシュナイトの音!!!』 抑制の効いた秘めたる静かな情熱。 でも昨年秋に聴いた4番のストイックな音とは違って音楽に熱さがあるし、始終のびやかさを感じた。 シュナイトさんは足がお悪いので着席して指揮をする。当然腕を小さく動かすだけの指揮振りなのだが、今日ほどその指揮が大きく感じられた事は無かった。 その適確な指揮棒に弦楽器群を始めオケ全体が全身全霊で応えようとしている。何と言っても圧巻は第4楽章で、主旋律の切ない典雅な歌に込める熱が徐々に上がっていって、客席の熱気と相まって力強いクライマックスを迎えるところ。一期一会、この輝かしい音をたぶん一生忘れないと思う!!!! 割れるような拍手喝采。シュナイトさんもそれに応えてか、オケの中に入り込んで楽団員を讃える。2階席、3階席に向って両手でオペラグラスを作って見せるお茶目な仕草に淋しさが込み上げた。 後一回、5月のシューマンシリーズ最終回がシュナイト×神奈川フィルの最後公演。 万難を排して駆けつけたい気持ちである。 #
by lime2005
| 2009-03-09 21:37
| 音楽
弥生3月桃のお節句。
中国の紙の人形(ひとがた)を流して厄払いする行事と日本の貴族の 曲水の宴が結びついた行事が起源と言われているそうで、ひな壇に人形を飾るようになったのは江戸時代以降との事。意外と新しい習慣だったのですね。 我家のお雛様もいよいよ今年でお役放免。心なしか内裏のお顔が緩んで見えるのは気のせいでしょうか? 変わり雛の一種で着物が正倉院の古代裂の写しでデザインされたもの。20年前に購入した時は『シック』とか『地味』と言われて人気がさんざんだった雛達も、年月と共に我家にしっくり溶け込んだ感じである。 少し着物地をアップしてみると・・・・ 内裏の衣装に模写された文様は『紫地鳳唐草丸文錦』と言うらしく、ペルシャの唐草模様と中国の鳳凰の東西融合のデザインで、正倉院のお宝を拝借(笑) この古代裂達を一度は見てみなければと長年思いつづけているのである。 (←原色日本の美術4 小学館・正倉院より) このデザインは奈良時代に流行した文様で『七曜四菱文繧繝錦』。 何処かで見かけた事はありませんか?そう高級な畳の縁模様(笑) お雛様の御座の畳縁にこの文様が縦に使われているのは天皇と神仏だけが使用をゆるされた文様だったからとか。 デザインもそうですが、正倉院カラーと呼びたくなる滋味で瀟洒な色合いが素敵です。 岡山の祭寿司にはかないませんが、一つ一つの具を丁寧に作ってちらし寿司でお祝いです。 お寿司の味の決め手は寿司酢の配合。具や季節によって微妙に変えると美味しさアップです。 濃い味付けの具がたっぷりのる散らし寿司の場合はサッパリ甘さ控えめにするとバランスが良いようで。 ←今年の見つけもの。 桜フレーバーのすし酢。 ふんわり桜が香るさくらちらし寿司に。 酢の物やマリネで使っても春が爛漫~ #
by lime2005
| 2009-03-01 02:23
| 日記
染織家志村ふくみさんの最新刊エッセイ、『白夜に紡ぐ』を完読。
娘が『500色の色鉛筆を買おうかな~』と呟く。 『名前は一本一本ついているの?』と聞き返す。 『一応ついているけれど深くつっこまないで!!』とはぐらかす娘。 『なるほどね・・・。ハーレクイーン・ロマンス風??!(笑)』 まあそれは大目に見て、化学染料ってこんな鮮やかな色相関を展開出来るんだって、これはこれで感動しますが・・。 『色とは何か、色は何処から来るのか、色は本当に色なのだろうか』 この人は終生、植物染料にこだわって、『一色一生』望みの色を探し続けている人。 軒先に隣りあわせで干した、庭の緑の木々にすぅーと溶け込んで自然の空気を吸いこんでいるような植物染料で染めた『灰色』の糸と、その隣でひとりでそっぽを向いて浮き上がっている化学染料の糸を比べて見た時が植物染料との出会いだったと言う。 この感覚は凄く解るし、私も体験した事がある。 数年前に鎌倉のペレンデールで棚いっぱいに置かれた草木染のシルクの糸を目にした時、色の光の源泉が零れ溢れていた、あの色達なんだと。 エッセイはそんな自然界に求めた日本の色の求道者の色との出会い、当然手繰る色の歴史から万葉集や古今集、源氏物語の中に色と共に暮らしてきた日本人の感情や精神に触れる件が圧巻。 例えば『減紫』と『褪紅』という二つの色。紫や紅が退化した色だろうか。 紫はあせるのではなくて、ほろびる。紅はほろびるのではなくて、あせるのだそうだ。 実際に紫は根で染めるから、終極。滅びるしかなくて、紅は花弁で染めるから褪せて、散る。 退化した色にさえ名前があって、退化のしかたでまた呼び名が変わるなんて、どれだけ自然が身近にあったかを万葉詩人が教えてくれるくだり・・・5回は読み返しました(笑) そして源氏物語と色、切っても切り離せない関係・・・ 『匂う』 『うつろう』 『なまめかし』 『あはれ』 といった言葉の色をひとつひとつ検証していく。夢のような時間が文中に流れる・・。 エッセイの中盤には17歳で出会って再び読み返す感動を綴った『ドストエフスキー・ノート』 タイトルの白夜はここから。後半は『折々の記』と題した交遊録。 読後、志村さんがずっと見つめてきた『色』って、見えている色の奥にある人の手ではどうする事も出来ない『神秘』そのものじゃないかと思えてくる、そんな一冊でした。 #
by lime2005
| 2009-02-24 22:54
| 日記
マンションの中庭で泥んこ遊びに熱中するの子供達に遭遇。 最近は外で遊ぶ子供がめっきり減ったせいか、この寒空に泥団子作りに夢中の 彼と彼女達とがやけに新鮮 『何を作っているの?』と聞いてみた。 『小鳥のお家・・・』 見ると側に小さな、小鳥が一羽入りそうな横穴が掘られている。 今はその天井部分を泥団子で塞いでいるところそうだ。 スコップを持っている男の子は二人の女の子の弟分で、 『ダメ!ダメ!もっとちゃんと練らないと壁が崩れるでしょう!!!』 ・・と不器用な彼にお姉さま達がダメだし。 その甲斐あってか、耐震構造の屋根が出来上がったみたい(笑) おおぉ~う、その言葉を職場のクラスの受講生に聞かせたい!!!! ここ5~6年とみに感じている事は、料理をしていて『手』を上手く使えない人が急増している事。 それは包丁使いはもとより、挽肉を捏ねてつみれやつくねを作るといった技巧的な事や、菜箸他調理道具の使い方全般に現れていて時に戸惑う。 年末に昆布巻きを実習した時、巻き上がった昆布を最後にかんぴょうで結ぶのですが、 『たて結びにならないように結んで下さ~い』と、これは私の拘り(昆布巻きの常識だけど・笑)で 徹底指導。出来ていない人は解いてやり直し!!!見回ると3人に一人の割合で立派なたて結びに。怒!!!! しかも立て結び自体に気付いていない人も少数だけれどいた。 靴の紐もプレゼントのリボンも今の今まで結んだ事がなかったのかしら?????? 鮮魚や生肉をさわれない人には今さら驚かないが、きのこの触感が気持ち悪いという人まで現れた。 『手』を圧倒的に使ってこなかった事が実によく見える職場である(笑) では最後に・・・ 調理ボールの中で出来上がった酢の物があるとします。 これを小鉢に盛る時、貴方ならどうやって盛り付けますか? どう盛り付けようと食べられればいいんじゃない?という貴方にはダメ出しを 調理ボールの中でおよそ人数分に分けたら、1人分をある程度の形を整えておいて、 利き手の菜箸に反対側の手を添えて一度に小鉢に移したら具のバランスを見ながら微調整・・・。こんな所にも『手』が大活躍。手では汚いなんて言わないで!!決して菜箸だけで何度も往復させないで!!! 綺麗な所作は『美味しい』に直結している!!と私の持論。 泥んこ遊びにも素晴らしい効能があるに違いない、少年!少女達!! 近い将来に!!!!きっと、きっと。 #
by lime2005
| 2009-02-16 22:19
| 日記
小川洋子の新刊、『猫を抱いて象とおよぐ』を読了。
物語の素材はチェス。あの『博士の愛した数式』で数式の美と奇跡を語った筆が、10の123乗通り『しか』存在しない棋譜の美と無限について語る物語。 主人公の少年は唇が閉じたままで生まれた寡黙な少年。 体が大きくなりすぎて屋上動物園で生涯を終えた象のインディラと壁の隙間にはまって出られなくなった女の子のミイラだけが友達。 7歳の時に巨漢のマスターにチェスを習った少年はメキメキ天分を発揮、テーブルチェス盤の下にもぐって熟考する特異なスタイルでチェスを打つ。その姿が『盤上の詩人』と呼ばれたロシアの天才チェスプレーヤー、アリョーヒンの再来とまで言われリトル・アリョーヒンと呼ばれるようになるが・・・・ 以下本文より抜粋・・・ マスターは両手を摺り合せ、チェスを始める時にいつも見せる、少年の大好きな表情を浮かべた。『ゲームの記録はな、棋譜って言うんだ。これが書き記されていれば、どんなゲームだったか再現できる。結果だけじゃなく、駒たちの動きの優雅さ、俊敏さ、華麗さ、狡猾さ、大らかさ、荘厳さ、何でもありのままに味わう事ができる。たとえ本人が死んだあとでもな。棋譜は人間より長生きなんだ。チェス指しは、駒に託して自分の生きた証を残せるってわけだ』・・・・・ 『口のある者が口を開けば自分の事ばかり。 自分、自分、自分・・・チェスに自分など必要ないのだよ』 『心の底から上手くいっている、と感じるのは、これで勝てると確信した時でも、相手がミスをした時でもない。相手の駒の力が、こっちの陣営でこだまして、僕の駒の力と響き合う時なんだ。そういう時、駒たちは僕が想像もしなかった音色で鳴り出す。その音色に耳を傾けていると、ああ、今、盤の上では正しい事が行われている、という気持ちになれるんだ。上手に説明出来ないけれど・・・』 『ああ、分るよ。よく分る。』 マスターは親指を立て、OKサインを出した。 『つまり、最強の相手が最善とは限らない。チェス盤の上では、強いものより、善なるものの方が価値が高い。だから坊やの気持ちは正しいんだよ。』 やがてマスターを失ったリトル・アリョーヒンは自ら成長を止め、からくり人形に入って秘密のチェス倶楽部でチェスを差し始めて物語は展開を見せ令嬢夫人や国際マスターS氏との対戦が続く。が、リトル・アリョーヒンの目指すチェスには常に自己の開放と盤上に綴られる美しい『詩』の軌跡が存在した。 これは小川洋子が『盤下の詩人』に託して全ての孤高の芸術家に通じる理想像を描いた物語じゃないかと思えてならないのだが・・・。 チェスは詩、 チェスは人、 そしてそれを抱く深遠なる海・・。 #
by lime2005
| 2009-02-06 01:53
| 詩
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